大名行列の歴史

飯田の大名行列

明治5年の初出場以来お練り祭りには戦時中を除き、連続出場。
本町三丁目は江戸時代屋台を使って奴踊りを奉納していただ、1866年(慶応2年)の火災で立派な屋台がほとんど焼失。
この時幼少の頃町内に住んでいた、明治維新の志士「薄井龍之氏」から、奴踊りではなく本物の道中行列をとの提案があり、主として若州小浜藩、奥州仙台藩、潘州姫路藩の三家江戸屋敷より諸道具類を購入することができた。
格式から優に百万石に相当するといわれている。

飯田の大名行列

道中所作や掛け声は、明治11年3月に江戸の大名行列請負業の志村一家、長沢兄弟師範のら来飯を仰ぎ、今宮神社前において町内全ての男性が指導を受けた。以来百数十年間厳しい時代を乗り越え、今日までに伝承されている。
特に 大正8年に東京で挙行された奠都50年祭(市制30周年)に招聘せられて天覧の光栄に浴し、当時の関係者から日本一の折紙付の文化財といわれている。
今日、本町三丁目は、14世帯の少人数の町内だが、大名行列に情熱を傾けてくれる多くの方々の協力で、45名の役者や随伴者総勢130名の行列を披露する事が出来た。

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