飯田お練り祭りについて

飯田お練り祭りの由来

飯田お練り祭りについて

大宮諏訪神社の式年祭礼に合わせて行なわれているのが「お練り祭り」で、大勢の人が街に出てねり歩くことから、こう言うようになったと伝えられる。

正徳5年(1715年)の「ひつじ満水」で知られる大水害が起き、安平路から風越山にかけて大規模な山崩れが 起きて、大水が飯田を襲った。

飯田お練り祭りについて

住民が大宮諏訪神社に集まり、加護を祈願したところ、大水は松川と野底川に分かれ、飯田の町は泥の海となる難をまぬがれた。領民はその神徳をたたえ、享保4年(1719 年)、領主にお練りまつりの再開を懇願して祭りを再興。

飯田お練り祭りについて

享保19年(1734年)の祭り以降、必ず寅年・申年に行うよう飯 田城下町18カ町の申し合わせがなされ、諏訪社本宮に合わせて7 年目ごと(6年に1度)に行うようになったとされている。

飯田お練り祭りについて

昭和22年(1947年)の飯田大火で多くの祭り屋台が焼失し、また昭和24(49年)年、信教の自由化により祭りも変貌し、江戸期の姿は形を変えて、大名行列や獅子舞が中心となり、近年は伊那谷一 円の行事として、その伝統を受け継いでいる。

「お練り祭り」参加の年譜

今から130年以上前に伝承された。道具類はもっと年数が経過してる。現状の道具類は、基本的に飯田市美術博物館へ保存。通常のお練り祭りは、青い字で記載

※は、お練り以外での出場。直近では、昭和41年が最後。人の準備、技術の問題、資金的な面、からお練り祭り以外での出場は困難。

  • 明治5年(1873年)初参加
  • 明治11年 以降 明治17年・23年・29年・35年・41年
  • 明治21年 今宮郊戸八幡宮本殿落成遷宮祭 特別参加※
  • 明治38年 日露戦争勝利祝賀会 参加※
  • 大正 3年 以降 大正9年・15年
  • 大正 4年 大正天皇御成婚(御大典祝賀祭)※
  • 大正 8年 東京奠都50周年祝賀会 天覧を賜る※
  • 大正 9年 伊那電気鉄道飯田駅開通記念祝賀祭※
  • 昭和 3年 昭和天皇御成婚※
  • 昭和 7年 以降 昭和13年~19年は戦時中につき中止
  • 昭和25年 以降昭和31年・37年・43年・49年・55年・61年
  • 昭和25年 赤穂町祝賀祭※
  • 昭和34年 皇太子御成婚・飯田祭り※
  • 昭和41年 NHKふるさとの歌祭り参加※
  • 平成 4年 以降 平成10年・16年・22年
  • 平成24年 山形県河北町
  • 平成25年 愛知県刈谷市

次回は平成28年

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